ローズゴールドの「ロレックス デイトナ」 が父親との記憶をつなぐ

世界中を慌ただしく飛び回る”F1サーカス”のスケジュールに翻弄される二人の生活は、まさに目が回るような毎日でした。数週間おきに大陸から大陸へと旅するのです。ときに、大切な家宝のこともうっかり忘れてしまうほどの忙しさでした。大事な時計と何週間も離れていなければならない羽目に陥るようなこともあったそうで、そのときはとても辛い時間を過ごさなければならなったそうです。

「父はその頃南フランスに住んでいて、よく泥棒に入られていました…。そこで父は泥棒に見つけられないようにと、時計を洗濯機の中に隠すようにしていたのです。ところがそれが間違いでした。洗濯機の中に隠したことを、つい忘れてしまったのです」と、ジェンソンさんは父・ジョンさんとの思い出を振り返ります。

ロレックスの時計と言えば、数百メートルという深海の圧力にも耐えることのできるものです。とは言うものの、そこは機械式時計。過度に激しい洗濯機の渦には、打ちかつことができなかったようです。つまり、洗濯機の中で無残に壊れてしまったのです。目まぐるしい日々に追われる中、時計の在りかを振り返る余裕もなかったのかもしれません。ジョンさんは壊れた時計を捨て、次のステップへと進みました。

それから数年後、ジェンソンさんは見事ワールドチャンピオンシップを勝ち取ります。その歓喜の中にあってもなお、ジェンソンさんのほうは洗濯機で壊れてしまった父親の「デイトナ」を忘れることはなかったのです。

「それで70歳の誕生日に、『お父さん、特別な時計をプレゼントしたいんだけど』と伝えました。どんなスタイルで、どんな色の時計が欲しいか? を尋ねたんです。すると父は、ローズゴールドのロレックス 偽物『デイトナ』でした。茶色の文字盤に黒のベゼル、そして革のストラップの時計の写真を彼は指さしました。最初は、僕自身も『同じ時計でもいろいろ種類があるもんだな』と驚いていました。

とにかく私はその1本を手に入れて、彼に贈りました。手渡した瞬間、父の顔がパッと明るく輝いた様子が忘れられません。実際に見てみると、写真で見るのとは全然違いました。父は早速その時計を腕に巻いてくれたので、『ワオ、喜んでくれた』と安心しました。それがこのエピソードのクライマックスです」と、ジェンソンさんは笑っていました。

私たちが時計に込める思い
ところが、その直後に悲劇が襲います。その年、ジョンさんは頭部の外傷が原因となり、亡くなってしまったのです。怪我の詳細は今なお判明していません。70年の生涯でした。悲しみに暮れるジェンソンさんが、その時計を受け継ぎました。その日以来ずっと、父の70歳の誕生祝の時計を肌身離さず身につけてきたのです。

父ジョンさんの時計を身につけたジェンソンさん。隣は、マクラーレン時代の元チームメイトで7度のチャンピオンに輝いたF1レーサーのルイス・ハミルトン選手です。

「ところが今週、初めてあの時計をつけずに過ごしているんです」と、ジェンソンさんは打ち明けてくれました。「父とのつながりを感じられるから、普段はずっと手元にあるんですけどね。ストラップをオイスターフレックスのブレスレットに替えはしましたが、それはそれでとても素敵です。どこに行っても褒められます。特別な思い出が詰まった時計ですから…」

簡潔だが奥深く、具体的でありつつ普遍的。そんなジェンソンさんの話しぶりに、思わず唸らされました。亡き父を思い起こさせる時計とともに勝利のときを祝い、それがまた新たな一生の思い出となるのです。その時計こそ、まさに記憶の具現化ということでしょう。

間違いのない物を選び、それを丁寧に手入れすることを怠らなければ、時計も車もいつまでもずっと使い続けることができる――。車と時計は、そんな稀有な性質を持っています。実用性によって生み出され、明確な目的のためにつくり込まれた時計であれば、スマートフォンなどよりも遥かに長く私たちの旅に寄り添い、身近な存在となっていくものではないでしょうか。

私の持っているのはヴィンテージのセイコー ダイバーズウォッチですが、その傷痕に目をやれば、ユタ州の吹雪の中での洞窟探検の記憶や(ユタ州東部の町)モアブの真っ赤な渓谷で転落した記憶、そして、あちこちへ旅した飛行機で薄暗い光に照らされながらダイヤルを見つめた100万時間の思い出までもが、たちまちよみがえってくるのです。

私が生涯を終えるとき、そこに宿る思い出の数々とともにこのセイコーがわが子に引き継がれることを願ってやみません。おそらく、その傷だらけのケースを目にした彼らは、この時計が歩んだいくつもの冒険について思いを馳せてくれることでしょう。もしかしたら家賃に困って、オークションサイトに出品してしまうかもしれません。そうなったら落札者となった誰かが、やはりこれらの傷について考えることになるのでしょう。古時計がそのような記憶を自ら話すことはありませんが、そのような謎もまた時計の魅力と言えるのです。

私たちは、あらゆるものに意味を見出そうとする生き物です。時計にもまた、意味を求めたくなるのです。いいえ、時計だからかもしれません。時計は私たちの人生という物語の担い手となり、記憶を呼び戻すための装置となるのですから。ときには、F1ドライバーとその父子の伝説のように、思わぬ物語の主役となってリズムを打つこともあるのです。わかる人には、これ以上詳しく説明する必要はありませんね…。

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